大判例

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名古屋高等裁判所 平成11年(ラ)26号 決定 1999年3月31日

抗告人 X

被相続人 A

主文

一  原審判を取り消す。

二  本件を岐阜家庭裁判所に差し戻す。

理由

一  抗告人の抗告の趣旨及び理由は、別紙即時抗告申立書写しに記載のとおりである。

二  当裁判所の判断

一件記録によると、本件は、抗告人の父A(以下「被相続人」という。)が平成5年2月24日死亡し、その三男でかつ相続人である抗告人は、その当日右死亡の事実を知り、また当時遺産として不動産が存在することも知っていたが、自分は生前贈与を受けており、かつ被相続人の死亡後ではあるが共同相続人の間で、二男のBが跡を取り、被相続人の妻Cの面倒もみる旨の話し合いがなされたこともあって、自己が取得すべき相続財産はないものと考え、相続に関してはすべてBにまかせていたところ、その後5年以上経過した平成10年10月13日頃になって債権者株式会社aから、催告を受けて、初めて被相続人が有限会社b商店(代表者はB)のために多額の連帯保証をしていることを知ったと主張して、平成11年1月6日本件申述をしたが、原審は、抗告人は死亡の時点で、被相続人の不動産の存在を認識していたから、熟慮期間は右積極財産の一部の存在を知った被相続人死亡時点から起算すべきであり、本件申述は熟慮期間経過後の申立であるから不適法であるとしてこれを却下する旨の審判をした事案であると認められる。

しかし相続人が被相続人の死亡時に、被相続人名義の遺産の存在を認識していたとしても、たとえば右遺産は他の相続人が相続する等のため、自己が相続取得すべき遺産がないと信じ、かつそのように信じたとしても無理からぬ事情がある場合には、当該相続人において、被相続人名義であった遺産が相続の対象となる遺産であるとの認識がなかったもの、即ち、被相続人の積極財産及び消極財産について自己のために相続の開始があったことを知らなかったものと解するのが相当である。

そうすると、右の点についての判断をせずに、直ちに本件申述を却下した原審判は相当ではないというべきである。

三  よって、本件抗告は理由があるから、家事審判規則19条1項により原審判を取り消し、「抗告人において、自己が相続取得すべき遺産がないと信じ、かつそのように信じたとしても無理からぬ事情」の有無等について、さらに審理を尽くさせるため、本件を原裁判所に差し戻すこととする。

(裁判長裁判官 大濱惠弘 裁判官 丹羽日出夫 戸田久)

即時抗告申立書

抗告の趣旨

岐阜家庭裁判所平成11年(家)第15号相続放棄申述事件につき、平成11年2月5日に同裁判所がした「申述人の相続放棄の申述を却下する」との審判は不服であるからこれを取り消し、本件を岐阜家庭裁判所に差し戻すとの裁判を求める。

抗告の理由

1 原審判は、単に抗告人が、被相続人の死亡の時点で、被相続人所有の不動産の存在を認識していたとの一事をもって相続放棄の申述を却下しているが、これは、最高裁判所昭和59年4月27日判決の規範に形式的にあてはめたものであり、他の実質的な事情を加味したうえでの判断がなされておらず、結果的に死亡後3ヵ月経過後の相続放棄を認めた右最高裁判決の趣旨にも反し不当である。

2 被告人は、既に生前贈与を受けていたこともあり、被相続人の遺産(主に不動産)については、被相続人の生前から、これまで被相続人と同居してきており、今後被相続人の妻Cの面倒もみていくという長男Bが相続するものと認識していた。

それで、抗告人は被相続人の死亡後は、被相続人の遺産は全て長男Bに移転し、自らが取得することとなる相続財産は存在しないと考えていた。

そのため、相続に関し特に利害、利益もなく無関心であった抗告人は、相続についてはすべて長男Bに任せていたのであり、まして相続放棄手続の存在自体全く知らなかった。

その後、抗告人が被相続人Aに約2億5000万円の保証債務があったことを初めて知ったのは、債権者である株式会社aからの催告書が届いた平成10年10月13日頃である。

このような事情を前提とすると、被相続人が死亡して5年以上も経過して初めて発覚した莫大な債務を負担させるのは、抗告人の経済生活を根底から覆すことになり、あまりにも酷である。

他方、もともと債権者は取引に際して相続人の資力まであてにして取引をしていたわけではないのに、たまたま、被相続人に債務があることを知らず、相続放棄の手続きをしていなかった相続人にまで請求できるとするのは、あまりに債権者の保護に偏りすぎている。

しかも、本件では、他ならぬ債権者が、被相続人の死亡後、5年以上も抗告人に対する請求を怠り、抗告人が被相続人の債務の存在を知る機会を奪っておきながら、結果的に思いもよらぬ利益を享受するという非常に不当な結果となってしまう。

3 確かに、抗告人は、被相続人の死亡当時、少なくとも、被相続人名義の不動産が存在していたことを認識していた。

しかし、前述のとおり、抗告人は、被相続人の生前から、被相続人名義の不動産の一切を長男Bが取得すると認識していたものであって、被相続人の死亡後も、当然に長男Bに権利が移転するものと考え、自らが取得することとなる相続財産は存在しないものと考えていたのであるから、抗告人は、被相続人の死亡により、被相続人名義であった不動産が相続の対象となる遺産であるとの認識はなかったもの、即ち、被相続人の積極財産及び相続財産について自己のために相続の開始があったことを知らなかったものと言うべきである。

そうすると、抗告人は、株式会社aからの催告書の送達により、相続人として、相続の対象となる被相続人の債務の存在を初めて認識するに至ったものであるから、右催告書の送達の時をもって「自己のために相続があったことを知ったとき」と解するべきであり、抗告人の相続を放棄するか否かの熟慮期間は、右催告書の送達を受けた日から進行するものと言うべきである。

とすると、抗告人の本件相続放棄の申述は、催告書の送達のあった平成10年10月13日頃から3ヵ月以内になされており、未だ熟慮期間内の申立てであるといえる。

4 これに対し、原審判は、単に抗告人が被相続人の死亡の時点で、被相続人所有の不動産の存在を認識していたことのみを理由として申立てを却下している。

確かにこの事実自体はそのとおりであるが、この点をもって前記最高裁判決にある「被相続人に相続財産が全く存在しないと信じた」との要件に該当しないとするのであれば、同判決の趣旨を誤解している。

相続放棄は本来相続すべき積極財産があってもなし得るものであり、むしろ、多くの相続放棄は積極財産があってもそれを超える消極財産がある場合になされているのが現状である。

最高裁の判決も同理由において「3ヶ月間」の「熟慮期間」を許与しているのは「相続人が相続開始の原因たる事実、及びこれにより自己が法律上相続人となる事実を知った時から3ヶ月以内に調査すること等によって相続すべき積極及び消極の財産(以下相続財産という)の有無、その状況等を認識することができ、したがって、単純承認若しくは限定承認、又は放棄のいずれかを選択すべき前提条件が具備されるとの考えに基づいている」と述べている。

すなわち、相続放棄等をするか否かを判断するためには、その前提条件として被相続人の積極財産だけではなく消極財産の有無、状況について把握することが不可欠であり、単に積極財産の存在を認識しただけでは、相続放棄等をするか否かにつきまともな判断ができるはずがないのである。

そして、通常は、相続人が相続開始の原因たる事実、及びこれにより自己が法律上相続人となる事実を知った時から3ヵ月あれば、これを把握することができるため、右時点を起算点とすればよいが、これを把握することができない場合、例えば積極財産の存在は認識しているが消極財産の存在は全く認識していなかったような場合には、消極財産を把握できるようになった時点まで起算点を繰り下げるべきである。

従って、前記判旨の「相続財産が全く存在しないと信じた」との要件の解釈にあたっても積極財産、及び消極財産双方の有無の認識について考慮し、一定の積極財産の存在を認識していても、消極財産について全く存在しないと信じていた場合をも含んでいると解釈すべきである。

消極財産について「全くないと誤信し、相続放棄の手続をとる必要がないと考えた」場合を救済するのが、最高裁判決の趣旨であり、そうでなければこの判決は意味がないものとなってしまう。

本件においては、前述のとおり、抗告人は株式会社aからの催告書の送達を受けるまで全く被相続人の保証債務の存在を知らなかったのであるから、抗告人はまさに「被相続人に相続財産が全く存在しないと信じた」との要件に該当する。

5 また、抗告人は、被相続人とは、昭和45年に結婚して独立してからは別居していること、被相続人宅への行き来はあったものの、被相続人から債務について話を聞いたことがないこと、被相続人の生活ぶりからは保証債務が存在していることなど微塵も感じられなかったこと、被相続人が代表者を務めているわけでもない有限会社b商店の債務の保証をしていることなど予想もできなかったこと、また、抗告人は、過去に銀行から借入れをするに際し、被相続人のような高齢者が他人の債務の保証人になることはできないと聞いており、被相続人に保証債務があるなどとは夢にも思わなかったことから、最高裁の前記判旨のもう一つの要件である「そう信じるについて相当な理由があると認められるとき」に該当する。

6 以上の理由から原審判はあまりに最高裁判旨を形式的に考えすぎており、不当である。

最高裁判決の事案は、たまたま被相続人に積極財産が存在しない場合に期限後の相続放棄を認めて救済した事案であり、本件のように、積極財産の存在は認識していたが、それを超える消極財産が存在しているとの認識が全くなかった事案について判示したものではなく、上記最高裁の規範を本件に形式的に適用して妥当な結論が出るはずがない。

現に上記最高裁判決後、本件とほぼ同様の事案につき、相続放棄の申述を受理した審判例として仙台高平成7年4月26日決定がある(甲2)。一部積極財産の存在を認識していても巨額の保証債務の存在を知らなかった場合の先例は、この高裁決定と解すべきである。

よって、抗告の趣旨記載の判断を求める次第である。

以上

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